SM 打たれる至福~深紅の彼方へ �A�N�Z�X�����L���O
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2007/4/30 月曜日

痛みに関して…

Filed under: 苦痛であること — rei @ 12:36:24

痛みとは、信号の数値に似ている。

私が痛いと全身で叫び、身体が真っ二つになるような苦痛に叫び
絶叫するような時、激しく身体から信号が点滅する。

いわゆる道路にある、赤や青の信号ではなく、どこかソースコードに似た、暗号化された、私の身体が刺激を受けて発する、細かい半角英数字のような() 

そんな暗号のように感じる。

http://sutekinajikan.blog69.fc2.com/ これは、ここのブログのアドレスだが
もし、このどれかの数字や、英数の何かが入れ替わっても、ここへは飛べない。

http://sutekinajikan.blog69.fc2.com/ 
↑↑↑
突っついてみて欲しい^^

一番後ろに、スペースを一個入れただけで、もう飛ばなくなる。

苦痛を受け入れるときは、こんな感じなんだ。

ある一定の強さと重さを、私がこれは、「安心できる苦痛である」と、どこかで感じる。

身体のどこかの扉が、ギィギギギーときしみながら、
そのソースコードだけを通過させるような、そんな感じだ。

スペースが余分に付くと、「ページがありません」となるように、扉の向こうへは行かない。
つながる道が無い、異物として身体が感じるような、そんなところだ。

私の何処が作用して、ベルトの金具でひっぱたかれるような激しい痛みを、
「安心できる苦痛だ」と感じるのかは定かではないのだが、拘束され悲鳴も抑制され、動けない、もうダメだと一種の絶望感に浸ると、信号(ソースコード)が発令されるような感じ

信号化された苦痛は、身体がもう拒否をしない。

徐々に力も抜け、声も出さず、息も穏やかになり、眠るような気持ちよさの中に居る。

あたり方で、骨を痛打したり、打ちつけられていないところの
信号が出来てない痛みが来ると
http://sutekinajikan.blog69.fc2.com/

ttp://sutekinajikan.blog69.fc2
!!になったり

ttp://sutekinajikan.blog69.fc2.co?????になり、覚醒する()
ソースコードが壊れて、飛ばなくなったのだ() 

悲鳴を上げて、身をくねらせ、苦痛に踊る。

でも、http://sutekinajikan.blog69.fc2.com/同じ刺激が来ると
また眠るように穏やかになる。

強弱にされると、信号が何だったか訳がわからなくなり、混乱する() 
痛みだけに踊らされ、悲鳴をあげ逃げ回る。
鞭の種類を変え、色々な苦痛に対応するのは難しい

一番困るのは、
主に対するメンタルな部分が、正しい信号の発生を止める作用があって
精神的に鬱屈を抱えたままプレイするのは、自分にとても辛い状況になるから、逢うことは出来ないということだ。

私の性癖の妥協のなさは、もう自分いじめのようであり、本当に嫌になる。

私が、これほどまでに苦痛を求めるのは、苦痛に甘んじて
全身が苦痛のことだけに集中している時に、私が色々な思考から解放されるからだ。

寝ていても仕事を続けてしまう(実際寝ているときに思いつくことが多い()

自分の力量だけの勝負で世の中を渡っていて、何処にも所属しない() 

一匹狼そのものであり、私の実力だけで生きてきた。

当然、私のプレッシャーは大きく、日常は戦いの場であり
常に予断を許さない、戦場そのものだ。

私は、遊びに行っても、遊べない。

仕事の目線でしか物を捕らえず、
常に考え、常に己を鑑み、己に挑むために如何したらいいのか考えている。

遊びを純粋に楽しむ事を、昔から知らないのだ。

子供の時からそうだった。

苦痛に悲鳴を上げて、信号が発せられる時までの、ギリギリの限界点に達する、
そのときの、頭の中が痛みだけでいっぱいになり、
目の前には痛みからくる炸裂する火花が飛ぶような時、私は恍惚を叫んでいる。

私が、自分自身からの拘束がはずれ、長い試行錯誤から解き放たれ、
今このとき、「私は自由だ!」と歓喜を上げている。

何から自由になったのかといえば、
自分を厳しく管理する「自分自身から」なのだから、お疲れ様な話である。。。_||●|||

私は自由を謳歌するために、きっと信号を発するのではないかと思ったりするくらいだ。

たっぷりと味わい、もっとねだり、さらに多くの開放感に酔うために、きっと信号化がなされるように感じる。

私の身体が熱くなって、蚯蚓腫れでさえあっという間に自己治癒してしまうのは、
全身全霊が歓喜を叫び、恍惚に酔い、苦痛に悦んでいるからだと思うくらいだ。

ただ、感情が付いてこないと、この儀式は行えない。

私の辛いところが、
「辛い!辛い!」と叫んでいる気持ちのままでは、逢うことはできない。

ソースコードに、全部「辛い」がくっついて、
飛んでいく先が私の「とても辛い」悲しみの場所へと変換されてしまう。

私は、一打ごとに傷をえぐられ、傷ついた気持ちを深く感じ、いたたまれない思いになる。
痛みでいたたまれないのと、心の痛みが相乗効果になって、よけいに辛く、悲嘆する。

文字通り、痛切な痛みになったとき、私は何処へも居場所がないと感じる。

まさに、「ページが有りません」

行く場所が、もう何処にもない。

居られる場所を失くした。

私は、気が狂ったような気持ちになる。
恐ろしすぎて、直面することは出来ない。

たった一つの癒される安らぎの場所が、もうなくなってしまうという恐怖に、激しい絶望を感じてしまう。

話し合ったり、実際に会って溝を埋めればいいというものでもない。

私が主に逢うということは、もうそこで身体が勝手に起動してしまう。
痛みを受け取るための準備にいそしみ、歓喜を受け取りたくて、思考も止まる。

主に逢いながら、プレイしないなど、私の中にはありえない。

身体がいくら求めても、身体に反して心が置き忘れられたら、絶望しかない。

逢えない悲しみは、他の何物でも誤魔化すことはできない。

私の感情は、
私が常に抑えてコントロールしようとしている抑制から逸脱し、ここぞとばかり暴走する。

私自身の個人的感覚では、「苦痛に依存する」ということは、つまるところ、他の何物でも楽しまないということの代償だ。

他の何物でも楽しまず、安らぎも無く、疲れを癒すものも無い。

苦痛に依存するということの代償は非常に大きく、
私は何処まで行っても自分を休ませることは出来ない。

感情が暴走する時は、逢うことも出来ないし、疲れて倒れるまで走り続けるだけだ。

ガラクタになるまで走る。
這いずって、ぼろきれになり、見失い、泥水に頭から突っ込み、暴走する心は止まらず、自分では止めようもない。

最初から、先の見えている負け戦に、わざわざ背水の陣で挑んでいくようなものだ。

矢羽つき、刃折れ、炎上する真っ只中に立ち、吼える。

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