最高の遊び
主のコメントで「最高の遊び」であると書いていたので、少しその辺りについて
書いてみたいと思う。
SMに血眼になって、家庭を顧みず、家庭を崩壊させてしまうケースは
後を絶たないだろう。
実際、家庭から出奔して好きで好きで仕方のない主のところへ越してしまう。
離婚後、主の在所の近くに居を移してしまうなど
女心は家庭を重視した世界観から、自分を解き放ってくれる世界への価値の移動で
環境ごと変えてしまう激動でさえ、乗り切ってしまうときもある。
私の世界は、私のライフスタイルそのものであるために
SMは私自身からの解放の手段である。
つまり、限りなく真剣に近い「遊び」が SMだ。
SMをして「遊び」と表現することは、かなり反発もあるので
まあそこは考え方の違いだから、しかたのないところだ。
私にとってのSMは、あくまでも非日常の世界で
時たまの安堵の場所であり、俗な言い方をすれば「遊園地」みたいなものだ。
↑↑非常に 叱られる誤解を招く表現である。
だが、しっかり腹を括ることは、家庭人である以上、責任をしっかり把握する上で
とても大事なことだと考えている。
真剣勝負であるが、何処まで行っても「遊び」の範疇からでない。
SMがどこまで限りなく大切なものであっても、
絶対に身近な人や身近な人たちの環境を揺るがせない。
そういう責任を取れる相手に対して、既婚者ルールを把握するもの同士が
丁寧に傾けあって築いていく絆を、私は大切にしたいと願っている。
SMが出来る嫁さん探し。
そういう話しや願望もよく耳にするし、またSMカップルで仲良く暮らしている人たちもいる。
それはそれでいいと思う。
結婚後、自分の性癖にどうしても蓋が出来なくなったときに
既婚者ルールをしっかり考えて、きちんとタガが外れないようにサポートをする
S男性であることも大事なものだ。
SM=怖い SM=引き返せない 等など、間違ってはいないが…。
それよりも大事なことは、預けていい男性であるのか。
預けることによって壊れてしまわない程度に、自分の中の構築が基盤がちゃんとしているのか
ここの点のほうが、ずっと大事なように感じる。
己の世界観ががっちり構築しているじゃじゃ馬を、乗りこなせる大人のSは
案外少ない。
相手選びと、自分の構築と言う点において、奔放したくなってしまってからでは遅いので
よくよく検討して、言い逃れや責任転嫁の中でSMに飛び込むことがないようにして欲しいと
願っている。
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