魚のいない水族館
魚のいない水族館 ssssさんが、またやってくれましたよー^^
なんと、知らない人はいないだろうというほどの、あの伝説の
いまはなき”魚のいない水族館”の画像を探し出してくださいました^^
素晴らしい美しさと、緊迫感の在る隠微さを、今一度ご覧下さい!
一途過ぎるほどのKYOKOさんに、ハラハラドキドキしたり
美しすぎる画像と、ハードなプレイ、そして日記やチャットなど。。。
主のHALF-MOONさんの言葉に、女性も感動したよねぇとか
ほんとひっきりなしに話題になっていましたね。
私もSMの世界に飛び込んだばかりだったし、何もわからなくて
勝手な思い込みや、一回限りのプレイでとことん満足させてくれる人がいるはずだとか思い込んでいたり、アリエネー!!!(爆
とにかく、右も左もわからないころでしたっけwwww
チャットやネットの世界は、確かにバーチャルだけの人たちも居るし
発言通りのことをしているかどうかなんかわからないし、解ったところで意味もないんだよね。
だって、二人の世界のことは二人だけしかわからない。
goroさんがコメントしてくださったように、行為の深さや種類なんかどうでもよいことで、お互いが存在を必要としていて、また行為を楽しめて、生きる糧になっていけるような、そういう高めあう存在であることが一番だと思う。
チャットやネットでの情報を私が得ていることに対して、主はいつも眉をひそめている。
影響を受けやすい私であることが、良い意味での影響を受けたときはまだしも、悪い影響を受けると引きずられてしまったり、良くない方向になるのが多すぎると。
でも、よい影響を受けるほうは、主は知らないともいえて
私が何も知らなかった頃に、いっぱい教えてもらったり、悩んでは背中を押してもらったり、それはもう数え切れないたくさんのことをチャットやネットから教わった。
漢桜さんを見つけたのだって、ネットだし、また主の良いところの意味を正しく理解しているのだって、実はチャットの影響も大きい。
最初主と別れる決心をしたのも、チャットで話を聞いてもらったのが実は大きな要因だった。
あなたはカラダを好きにされているだけで、彼から愛されていないんだよって、丁寧に相手をして教えてくれたのは、たくさんのM女さんたちに愛され力づけていた、心臓病で急逝された「教授」だった。
あの時、もしそうしていなかったら、今はない。
元主と別れた後、本当はSMを去るつもりだった。
私は、元主を捨てる形でお別れしたんだけれど、かなりショッキングな出来事があったし、家庭的な部分でも以後、難しいものがあると感じていたから。
だけど、そのときに長い時間私の話を聞いてくれて、明け方近くにそっと一言、「あの程度のSさんは、星の数ほど居る」と言ってくれた先輩M女さんの言葉が、少しずつ勇気に変わって、また探そうという気持ちに育っていった。
漢桜さんと知り合ってから、しばらく家庭内のごたごたが続いて
危険な状態に何度も乗り上げて、私も心病んだときもあったし
苦痛に依存していながらプレイが出来なかったときに支えになったのは、やっぱりチャットで話を聞いてくれる人たちだった。
プレイの内容や行為の深さや種類、また本当に話のとおり行為をしているかどうかなんか、あまり関係ない部分もある。
混沌とした自分の中のもやもやしたもの、言葉にならないもの、伝えられないジレンマ。
そういうのがSMって本当に多いような気がするし、その伝えられない気持ちを伝えるようにまとめるためにも、私にとってチャットってすごく重要な場所を占めている。
全く違う考え方をする人と話をすることで、全然違う角度から自分を見ることもできる。
また、家庭を壊してしまった人の話をそっと教えて貰ったとき
自分の中に、礎として固く壊してはいけないものが何なのか、しっかり見据えることも出来た。
私は苦痛が必要で、激しい痛みでほっとするのだけど
口で言えば実に単純そのものの、この「痛みでほっとする」ことと
日常とのバランスを取るのは、大変に難しい。
委ねるとは、依存だと私は感じている。
そのとき、すべてを預けて何もかもを投げ出して、主に委ねる。
つまり、完全な依存をしている。
日常ではありえないほど、自我を投げ出し、自尊心も捨て、痛みに安らぎを見出しているなんてさ、まさに生命体として異常行動を取っているんだよね。
そういうことをしてしまう自分。
そして、全部を委ねて依存したときの安堵感。
その両方を、「いつもの生活をする自分」が受け入れるのに、実に厄介な思いを私はしてきた。
自立した大人でありたいと、常に自身に叱咤激励している私が
何もかも放棄してきた、その異様な世界に依存している自分がいることを、受け入れるのは大変だったし、また依存したなら、もっと依存してしまいたくなる気持ちだってないわけじゃない、…というか絶対に圧倒的な願望がある!(笑)
どうして主のような頼りになる男と結婚できなかったのだろうか?
これは長く考えたなぁw
もうどうしようもないのは、よおおおおおおく解っているのに
苦しくなると、そっちに考えが行ってしまう。
チャットでそんなことを相談したことはないけどさw
いくらなんでも(爆
だけど、人と話すことは自分を見つけること。
自分の中にある答えを、問われることで見つけたり、人とぶつかって、主の言う悪い刺激を受けたりすれば特に、何度でも考える。
いろんな方向から考えてみる。
そういうときに、神経質になったりするから主がハラハラするとか
止めなさいって言うんだけど、でも そういう時間にいっぱい考えているからこそ、家庭を持ち崩したりしないのも、絶対的に事実ある。
人との関係は、人の力でなければ治せない。
また、人とのふれあいをなくしてしまった人間は、希望もなくなる。
そうじゃないのかな…。
私は仕事だけで家からほとんど出ない環境に生きていて
ネットやチャットの人とのふれあいが、仕事の疲れを癒し
自分の考えを客観的に見たり、また人から教えてもらったりする。
確かに私の対人は危なげなんだけど、人とのふれあいをすべて断って
主が居ればすべて幸せという考えにはなれないし、決してなりたくない。
ーーーーそんなことをしたら。
主からのメールだけを、一日中待ってしまう。
主との電話だけしか外界との接触がなかったら、偶々つながったときだけの、ほんの数分間で満足できるものだろうか?
私が神経質になっているとき、主は距離をとる。
私が怒ったり、食い下がったりするのを嫌うからだ。
主は、私が穏やかになるまでの時間を与えているつもりなのだろうけれど、私は放棄されたように感じてもいるんだ。
自分で立ち上がっておいで。平常心に戻ったら、話もしてあげよう。
そういわれているように感じるし、事実そのとおりに時間だけが過ぎていく。問題は解決しないまま、放置していても私が騒がないままでいれば、ずっと形を変えることなく私の中に存在し続ける。
チャットをして馬鹿話に声を出して笑い転げる。
おかしな話をして盛り上がって、明け方まで 涙が出るくらい笑う。
しみじみと、お互いの悩みに耳を貸して、熱心に聞き役を務める。
そんなその時々の人たちに支えられて、私は在る。
そのすべてを失くして、相手が主一人になって、ろくに来ないメールを一日千秋の想いで待って、一行メールだったら、私はどうしたらいいのだろう。
主一人で、私を請け負えるものだろうか。
私は、話をしたり書いたりすることでしか、自分の中を整えられない。
人に向けて発信することが、平常心を保つのに非常に有効なのだ。
ネットやチャットは、時に有害な影響を私に与えるときもある。
神経をすり減らして疲弊し、泣いたりする。
でも、もしもチャットやネットがなかったら。
私は主という存在そのものも、受け取りそこなってしまうだろう。
私が転んでも、ぶつかって事故っても、それでも外界との接触を捨てないのは、正常だからではないのかしら。
本当に主が言うように、何もかも捨てて主だけに集中したら…。
そこに待っているのは身の破滅しかないと、私は恐怖すら感じる。
家庭を維持するよりも、私に振り向いてもらうことだけしか考えられなくなりそう。だって、たった一人の外の世界の人。
他に誰も居なくなったら、どれほど孤独だろう…。
こうして更新して公開しているものも、すべて主だけに送り
解っている相手にするような甘えやわがままで書くことは、ことの本質も伝わらないことも多い。
解っているとした上で書くことは、意味不明になってしまうこともあるからだし、主が返答に言葉を選んでいるうちに、どんどん私の送るメールが積み重なり、主は何がなんだか解らないけれど、「受け取っている」「読んでいる」という存在になるんだろうな、以前のように。
返信がないって、すごく苦手だ。
心の動きや気持ちを書いたときなどは特に、返信がない=拒否されたと感じてしまう心の悪魔を、退治するのに時間とエネルギーを費やしてしまう。
疑う相手でない人を、疑心悪鬼になった心で見るのは辛い。
そういう長い時間を、どれだけ閉塞感を感じながら、過ごしたか私はわからない。
こうしてブログで気持ちを書いたりするようになって、安定している部分が、すごく大きくあるんだ。
主が、外界のたった一人であったら…。
私は常に飢えた心を持て余して、主のメールだけを当てにして、私の全てが主の行動に表されていると被害妄想的に感じてしまうかもしれない。飢え続けていたら、だってそうなるの普通じゃないかしら…。
主とだけしか話をしないなんて、どれほどの閉塞感だろう!
想像するだけで息苦しくなるっ><
私はチャットやネットで今の私を構築してきた。
主との付き合いよりも、日々接しているチャットやネットのほうが
ずっと深く密接に私の中に取り込まれている。
生きて血が通っているものを、引き剥がすのは、きっと心が壊れてしまうほどの甚大な損失があるだろう…。
気力や心の強さ、希望。
あらゆるもの。
魚のいない水族館のKYOKOさんのように、主に夢中になれる環境に私が居るならば、話は別だ。
不倫カップルであり、お互いの仕事も忙しく、逢うのも年に数回(5回未満)
それで、主だけの外界になったら…。
私はあっという間に疲弊してしまうだろうな…。
きっと主は、今以上に私を重たく感じて、追い掛け回され、構ってくれないと恨み言を言われ、今よりももっともっと、いたたまれなくなるだろうと思われ…(爆
希望も怒りも喜びも不快感も、人情と嘘偽り。
混沌として、何もかも在る、普通の世の中の一部分=ネットやチャット
私にはそのように思えてならない。
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初めまして 弊ブログ開設した時にコメント頂きありがとうございます。
其の後、何時も拝見していましたが、なかなかコメントするキッカケがつかめなくて、、今日に至ってしまい申し訳ありませんでした。
今回「魚のいない水族館」のエントリーにとても懐かしさを感じ、また同じ様にのめり込んだ(?)仲間のようにreiさんを感じてコメントしている次第です。
私もgoroさんのコメントは全く其の通りだと思います。
お互いに必要とされていることは大切ですし、嬉しいことですよね、
其れがあれば(チョッと大袈裟ですが)世間の雑多なことも乗り越えられるような気がします。
コメント by パイパン大好き — 2008/10/11 土曜日 @ 19:05:58
あーーー!
パイパン大好き!さん コメントありがとうございます!
いえいえ…その節は乱入してしまいまして…ご迷惑をおかけしてしまい恐縮でした。
貴ブログでのご紹介に預かり、光栄ながら至らないことが恥ずかしくて、もっと「魚のいない水族館」のネタを書けばよかったなぁと、いまさらながら自分中心な記事にしたことを恥じております…(滝汗
ssssさんのところには、なんと!「水のない水族館」と書き損じてしまっているし(爆死
水のない水族館… 虐待で世界各国から、非難が集まる残虐な…?(トホホ
魚のいない水族館。
当時の男性からも女性からも、大きな支持を得ていた、内容も充実度も、美しさでも比類するもののないほどのレベルでしたよね。
パイパン大好き!さんが、同じ頃に一緒に閲覧していらしたこと、なんだかとても嬉しく、近しい存在に感じました^^
私は、たまたま苦痛の激しい方向に自分の発散できる道を見つけてしまいましたが、どんな手段を用いて、どんな嗜好を持っていたとしても、たどり着きたいところは、お互いが高めあう存在になれることであり、必要な唯一無二の者になれることであると思います。
パイパン大好き!さんがおっしゃるように、雑多なことはちょっと心強くして頑張れば、SMがなくても乗り越えられるかもしれませんが、一つ一つを乗り切るのは疲れもたまるものですよね。
逆に、確かな存在が心に強くあれば、しっかり見据えて袂に近づいたところをバッサリ刈り取るような余裕がね、出るような気がするんです…。
焦ってジタバタするのではなく、肉を切らせて骨を断ち切れるような覚悟がつきそうな気がする、そういうお付き合いがしたいなぁって、思ったりしています…
懐かしいサイトのお話で共感してくださって、本当にありがとうございました^^
コメント by rei — 2008/10/13 月曜日 @ 22:24:27