必要な苦痛、我慢する苦痛
ググって、ふと見つけたブログに、興味深いお話が書いてありました。
S女とM女の居る風景 こちらの苦痛系M女の世界 【1】というエントリー。
第三部まで、エントリーは今のところ続いているみたいです^^
reiは、自分がかなり異端であると思ったりしていたけれど…
鞭だけしか欲しくないM女さんっているんだなぁと、びっくりしたというよりも、自分と重ね合わせてすごく納得するというか…。
また、鞭で打つだけしかしたくないSさんもいらっしゃるんですね…。
そのお二人がもしもめぐり合う事があったなら、どれほど惹きつけあう相性なのかと思うと運命を感じますね…。
苦痛が好きなMには、たまらない話題であります^^
SMは色々なスタイルがありますが、
好きな人が、たまたまSさんだったというお話は、よくありますね。
また、大好きな主様に喜んでいただきたいから、一生懸命我慢するっていうのも、あって当たり前の話です。
でも、先のブログに書かれていた、エロを全く受け付けないという女性のお話でもあるように、苦痛が「必要」だから欲しいというのは、主様のために苦痛の中にでも悦びがあるというのとは、全く世界が違うものかもしれない。
私の場合でも、鞭打ちのときにエロっぽいことをされるのは、物凄く抵抗感があるし、絶対に受け付けたくない部分でもある。
今、やっとの思いでありつけた、飢えに飢えていた苦痛をせっかく堪能してるの!(`´) 変な手出ししないで!ヾ(>y<;)ノ
みたいなね^^;;
一番神聖な、心から望んでいるこの大事なときを、快楽なんかでごたごたさせないで!ヾ(>y<;)ノっていう、動かしがたい激しい拒否があります…(笑
普通は、鞭打ちの合間にキスしてくれたり、あしょこをいじって痛みをごまかしてくれたりしたら、M女さんは「主様が私を可愛がってくれて、ご褒美まで下さった!」なんて感激する感動の場面なんだろうけれど、私なんか怒り出すというね…(/。\)
ただ、
鞭の連打に、尽き果ててしまって吸い込まれるように眠り、目覚めた後は、その前の苦痛に深く酔い、酔ったほどに快楽が刺激的になって、普段以上に痴れ狂ってしまう。
そういう意味では、苦痛だけの自分じゃなくて良かったのかもと思ったり、もしかしたらそのM女さんは、とことんの苦痛をもらえる関係になれないから、鞭だけを欲しがっているのかもしれないような気がしたりもします…
私も、今の主の漢桜さんと付き合う前は、逝くことを忘れたMだったし、いい加減に発情するような打ち方をされるのは耐え難くて、実際に主と付き合って初めて、限界に近いところまで打ってもらえる達成感を感じることが出来た。
限界に近いところまで打たれることを知らないときは、快楽は仕方なしに付き合うお義理でしかなかったし、面倒な部分であるとさえ思っていた。
もっとはっきり言えば、苦痛だけしてくれたらいいのにと
もって回って面倒くさい快楽などに付き合わなければならないのかと辟易していた。
実質、人のからだに対して攻撃した経験があり、武道で人の体のこともよく理解している漢桜さんだからこそ、お願いできるギリギリがある。
他の人でも、同じくらいに打ち込める人は数多くいるんだろうけれど
他人がいきなり入ってこれるような世界ではないのも事実なんだよね。
信頼関係って言う意味において、苦痛ほどSさん側のスキルが大事なものはないような気もする。
せっかく酔っている行為が終了になるときは、reiは心の中で、毎度のように、ここでお終いかよー! なんだぁ…、せっかく気持ちよくしているのに、終わりなの? がっかりだぜぇぇって、思っちゃう。
どこまでも欲しくて、止めてもらいたくなくて、止められることが自分を否定されたような気さえしちゃうくらいなんですよねぇ…
もちろん、心の中で罵っていても、数秒後には魔法が解けて、肉体に痛みが戻り、自ら望んだ結果の大きさに狼狽して、
今度はいきなり、もしかして、おうちに帰れなくなってしまっているんじゃないだろうか。私のカラダって平気なんだろか??と、手のひらを返したように不安でいっぱいになってるんですけどね^^;;
そのくらいに、受身側のこちらにはスイッチがなくなっていて、自分がどの程度のダメージを受けているのか、どこの場所で限界の境界線なのか、全く分からない。
主がすべての責任を負い、判断する。
最初は軽いところから始めて、段々に強くしていく。
これは、その日のプレイの中ではなく、一回一回の逢瀬の中で
少しずつ積み上げていく経験値なのだと、私も感じている。
主が判断する材料の経験値も、一回一回の中で積み上げていくものだし、スイッチをなくして忘我に浸っている私も、実は背中で主の呼吸や動きを神経質に感じている。
主がいい加減に遊び半分で打ったとしたら、私はすぐに感じて
警戒をしてしまうだろう。
スイッチがなくなっているという状態は、主に全権を委ねている証であって、苦痛に溺れているのとは少し違うのだと思う。
主がよく言う、縄酔いならぬ、主酔いなのだと思う。
だから、他人が入ってきたとして同じことが出来るわけでもないし
私が知らない人からの苦痛に、心からの安堵を感じる理由がない… 。
行為があるから感じるのではなく、私を理解してくれて、信頼できる相手からの苦痛だから、安堵なのだと。
誰でも良くて、どんな打ち方でも感じるのであれば、逆に自分から壁にでもぶつかって独りHができて、それなりに満足できるはずなんだよね^^;;
そうなったら、実際には簡単で、どれだけ生きやすいかと思うけどw
でも、そんな事情はさておいて、本当に泣き喚いて止めてくれって、お願いしてみたいと常々思っていた。
でも、7月に逢った時の最後のほうで、Hをして私が汗をかいてしまって
シャワーを浴びて、ベットでゴロゴロ転がって、シーツで拭いていたのねw
もう、だるくてーw
バスタオルもキレイだったんだけど、拭くのさえかったるかった。
そしたら、何か私が主に、(あり得ないような気がするけど)責めが足りないと言ったんだったか何だったか、文句をつけたんだw
そしたら主がいきなり襲ってきて、私の脚をディルドで叩いてくれたときは、痛かったな~~!(爆
騎乗位で散々暴れて、シャワーで汗流して血行が良くなっているところを、滅多打ちするものだから、さすがに!^^;;
必死に逃げようとするのを、寝技で抱え込まれて身動きできず…
「やだー! 痛いー!! もう止めてーー! 堪忍してーーー!!!」
初めて抵抗したかもwww
チェックアウトも迫っていたので、そんなに構われずに解放となりましたが、そういうギリギリであっても、まだ飛び掛ってくるところが、主はSのスイッチが入るとかではなく、ごく自然に普段の全部が「いじめっ子」なんだなぁって、私がほっとする理由でもあるんですよねぇ(爆
あくなきいじめっ子w(笑
自分よりも主のほうが欲望が翳らないと見せ付けてくれるときほど、安堵感を感じるひと時はないもので^^;;
嬉しさいっぱい、愛情ひとしおってやつでございます(笑
前に、どうして苦痛に愛情の強さを見れるような気がしてしまうのか、何故激しい苦痛を与えてくれる人に愛情を与えてくれると感じるのか
すごく不思議でならなかった時期があったの。
そのときに、先輩M女さんが笑いながら、痛いことは行為の中でも深い行為であるから、強い感情の証なんだと教えてくれたことがあった。
そのときは、そういうのが苦痛を欲しがる理由なのかと、思ったりもした。
子供の頃に愛情の足りない家庭であったし、私自身愛情を強く求めてもいるから。
でも、やっぱり苦痛の裏にある「愛情」を感じたいから、苦痛を求めるのではないんだな…。
先のブログの記事にもあるように、頭が真っ白になって、痛みのことだけしか考えられない、ギリギリのところにあるときに、すごく幸せだと感じてしまう、その苦痛そのものの浮遊感や安堵感が欲しいんだ。
その行為を与えてくれる人が、私自身をよくよく理解して受け入れてくれているから行為があるわけで、そういう意味で愛撫だと思うし、実際に強い快感を苦痛に感じているわけだから、正しく愛撫でいいんだけど、
行為を受けることが愛情の証明だから欲しいのではなく、やっぱり行為にほっとするから麻薬的に欲しい。
常々欲しがる麻薬的なものを、苦痛は持っている。
麻薬的な苦痛への依存に、散々翻弄された私は、主と付き合った最初のうちの二年半に、いくつかの傷を作った。命が危なくなったときもあった。
その怖さのまえに今の私は…、竦んで立ち止まって俯いている…。
まあ、とにかく苦痛系ってのはメンドクサイ嗜好と性癖であるのは、たぶんに間違いなしということなんでしょうねぇ(==)
皆さまのお幸せを、心からお祈りいたします…
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