絶対の信頼
私が主に対して、時たま矛盾が生じた時に反逆する事を書いた。
ブログを書くようになって公然のものとなったのに、世間体は感じないのか?と
失笑を買われたりして意外に思ったり 主に対する愛情の示し方は従順であるMという「形」を重んじているんだなぁと、その協調性に尊敬したりする。
支配をされることに喜びがある関係は、きっとそんな風に考えることも預けて
安心感を得るのだろうと、半ばうらやましく思ったりする^^
私の場合は、絶対性への信頼だ。
私が主の在り方に矛盾を感じることは、主の居るところが安全ではないという
私の勝手なセキュリティーが働いてしまう。
主=安全 これが絶対に外せない。
主の存在そのものが安全だと矛盾なく感じられてはじめて
主の行う痛烈な痛みを「安全な痛み」だと 委ねきることができるように感じる。
主が与える苦痛を「安全な苦痛」として認め、さらに追い詰められた時に
ばっさりとセキュリティーが外れて、私の防御が皆無になる。
私の複雑な心理の中の何処にスイッチがあるのかわからない以上
安全性について細かいチェックをすることは何よりも重要だ。
そんなに自分の気持ちだけが大事なのか? (そ!私の気持ちが大事なの。キッパリ!)
と、時々おしゃべりしていると言われるが、主はこんなことは聞かない(笑)
預けるものの大きさ、私の思い切りの良さを知っているのは主だからかもしれないが
主は私の矛盾を批判しない点でも、私にとって安全性の高い存在だ。
安全だから、命そのものを預けて防御をおろして眠るように穏やかな世界に
浮遊できるのだろうと思う。
苦痛しか介在しないというわけでもないのだが、苦痛の無い抱かれ方は
私にとって非常に辛い状態だ。
私は肉体的に苦しめられる事、そのものを欲している。
「鞭で頑張ったら自信が付いた」 とか「敬愛する主が求めているから痛くても頑張る」
そういう可愛らしさのない女だ。
単に苦痛を求め、純粋に意識を手放せることに快感を感じている。
「正気でなくなることは何をしていても全く無い。
すべてが正気の意識を持ったままプレイをするのだ」
というM女さんの記述をたまたま読んだが、私とは全く違うなぁと思ったものである。
私は正気を失うほうが大きいな。
主に酔い、苦痛に酔いしれ、最後は快感に浮遊する。
何時しか 身体中に埋め込まれた快感の種が、私をイキッパナシ状態にいざない
私は主が摩ったり触ったり、軽く触れるかどうかのかすかな刺激に
何度も絶頂し、痙攣を繰り返しながら、眠ってしまう。
自分で逝くことを止めることも出来ない。
逝き続けることに顔が強張るほど恐怖も感じるのに、逝くことを止められない。
全身のあらん限りの力を動員して、振り絞るように絶頂を繰り返す。
顔が赤くなっているのを自覚する頃は、耳がゴウゴウと音を立てて絶息し、悶絶する。
手や足が痙攣するのを止めることができない。
主が声をかければ、主の声でまたさらに絶頂する。
主が触れば、全身から鳥肌がうねってきて、私をもっと追い立てる。
必死に見開いた目に映る主の目を見つめて、また痙攣してしまう。
もう、息もできず身体が疲れ果てているのに、力を抜くと脚やつま先辺りから
びりびりと電気が上がってきて、瞬間の休息もしないまま ただただ身体の命ずるまま翻弄される。
気が付くと布団の中目が覚めるのだが、何処で寝てしまったのかわからないときのほうが多い。
最終的な部分を覚えている時もあるが、全く意識なく気が付いたら寝てるってのもあって^^;;
きっと寝てしまうしか追い込まれた自分から逃れる方法が無いのかなぁって思ったりする。
私のこういうスイッチの無さに、正気なんてあるわけが無い(笑)
集中して行うのが何でも好きだが、性癖でもこういう部分が出てしまうのだろうか( -”-)
主の笑う声が耳に残る…。 主は意識はあまりしないで笑っているらしいが「くっくくく」と 楽しそうに笑っている。
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