SM 打たれる至福~深紅の彼方へ �A�N�Z�X�����L���O
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2008/4/20 日曜日

砂漠のランナー

Filed under: この頃の私 — rei @ 23:38:17

この頃ちょっと弱り気味で、それは仕事が詰まってしまって
GWを目の前に控え、納品したいのは山々なれど進まない。

待っている人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいのところに
やり直しが発生してしまった。

どうしてやり直しになったのかは、考えに考えた挙句に
これでやろうと設定した数字にミスがあって、私としては
「えーーー! これで、だめなの???」というかなりショックの強い結果になった。

元々、不安感を何度も訴えているクライアントだったので、
その不安がまさしくドツボになったと、先方は言いたいだろうとおもう。

そりゃそうなんだけども、こっちとしてもわざとしたわけでもないし
練りに練った挙句が失敗なのだから、泣きっ面に蜂。

どん詰まり状態になっちゃった。

其処に持ってきて、山のようにまた次の仕事が来て
見るのも聞くのも辛い、辛い…。。。

どうしたらいいんだろうって思いながらも、やる手を止めることもできないので
SNSもお休みして集中しようとしている状況。

主とのちょっとした気持ちの行き違いで、私がへそ曲がりをしてしまって
現状は芳しくないことはなはだしいというね、弱り目に祟り目でございます。

そんな今日、観た人も多いかと思うのだけれど
間寛平のサハラ砂漠 245キロのマラソンのドキュメンタリー。

これには、感動しましたねぇ。

245キロを7日間で走りきる。水は支給されるけれど、シュラフや食料は
ザックに入れて自分で運ぶのだ。

日本人の参加選手は10人と少なく、ヨーロッパの参加者が圧倒的に多い
この限りなく厳しいマラソンの参加者は、850人というから驚きだ。

日本人の最高齢は、女性の71歳だったか…。
笑顔が美しい、とても70歳には見えない、過酷なマラソンを制覇し続けている方だという。

間寛平は走り出してすぐにザックの紐が緩み、走るにも走れない状況で
苦しんでしまう。
ちょっとした工夫を知らずに、なんでもないことで頓挫しそうになり
途中、大事な水までも捨てて、荷物を軽くするために食料も捨ててしまう。

涙なくしては観ていられないほどの厳しい試練の連続。

応援メッセージで、釣りバカ日誌で共演した西田敏行からのメッセージが
またステキだった。

共演しているときに、演技が終って衣装を脱ぎ、ランニングフォームに着替え
宿舎までもくもくと走る間寛平の姿に、心打たれたと。

58歳にしてサハラ砂漠のマラソンなんて、どうして参加しているんですか?と
素直な問いかけをした後に、
「間寛平は、もう一人の自分と会話をして生きるのか、またもう一人と見詰め合って生きているのだろうと思います。
頑張れとは言いません。精一杯自分と勝負してほしい」

ビデオにとっておけばよかったのに、つい呆然と見ているばかりで
言葉が違うのかもしれないけれど、そのようなことをメッセージに託していた。

思わず、ずっと塞ぎこんでしまっていたけれど
目から鱗が落ちたような気分がしたんだ。

私が辛い、しんどいと音を上げていたのは、
つまるところ、達成感が私個人でしかないことなのかもしれない。

成功しても、それがこれだけになった!とゴール地点で叫べないもどかしさ。

また一個が成功したところで、後に詰まっている山のような仕事に
また黙々とチャレンジするために挑まなければならないこと。

その地道さに怒りがあったのだろうと思う。

地道な活動をしていることが嫌いなのではなく、こつこつと独りで働くのは好きだ。

だけれど、自家発電を続けることはできない。
走れなくなっちゃう。

そういう意味で、主に「鬱かもしれない」とメールしたときは
打ちひしがれていて、ちょっと心血が止まらない気分だった。

私は女性よりも男性との距離感がどちらかというと好きで
なんていうのかなぁ、そういうの判るよ!とか
あまり言われたくないようなところもあって、
主が心配しながらスルーしたのは、すごく良くわかる。

私が、 普通の人なら金輪際 二度としたくならないような小難しい仕事をしているのも
主は全部承知しているし、家庭での私の場所も良く知っている。

簡単に声をかけにくいというのも、すごくわかるんだ。
付き合い始めたころは、半年もしないうちにメールしない人になっちゃった。
一年半くらいは、ほとんどメールは業務確認だけ。

メッセでも、世間話でさくさくオフにしてしまう。

時たま つながる電話で、簡単に数分で軽いお返事がある程度。

電話だってつながらないときのほうが多い。

そういう中で、私が何度も文句を言う、主が私の心を解凍する。
またへそ曲がりをする。ほぐす。

その繰り返しが、どうしてもだめなんだと、私からの連絡を絶ったことで
主にわかってもらうまで、二年を要したのだった。

それでも、その頃はまだ自分で叩き出せない限り逢いにいけないという
厳しい状況が残っていて、私は苦痛に依存してしまっていたのに
自分で痛めても痛くないし、怪我する危険、
家族にばれてしまうリスク、両方の板ばさみになり

眠剤を飲んで依存し、眠れないことに腹を立てて
アルコールを飲んだ上に、三日分も眠剤と導入剤を飲んで、

チャットで文字を打つこともできないほどにラリッたまま
海まで歩いて、気分転換に出かけた(笑

あくまでも気分転換であるけれど、自分を維持するのに
どうしても何かがないと、もう維持ができなくなっていたので
海に浸かってみたのだった。

もちろん其処は、遊泳禁止区域で波がとても激しい場所。

でも、浸かりに行っただけなので、引く潮の場所と、打ち寄せる場所を
堤防からよくよく見定めて、入ってみたんだ。

腰に波が来る程度まで、ゆっくり進んでみたときに
大きな波が来て引き倒され、あっという間に波に飲み込まれた。

薬の影響もあるし、
アルコールを飲んだ上に3時間以上も歩いたうえでのことなので
「やばい、のまれる!」と真剣に命の危機を感じた。

ところが。

気がついたら、海水の一滴も飲まずに、波打ち際に座り込んでいた。

押し寄せる波が、波打ち際まで運んでくれたのだけれど
背中を海が押し返してくれたのだとしか思えないほど、
あっけないくらい軽々と、私は波打ち際に居た。

家族が時計をにらみ、3時間後に迎えに行くといって
車で迎えに来たときは、とぼとぼ濡れ鼠のまま帰宅するところだった。

死んでもいいのかよー! 早く迎えにくんだよーー!とか
暴言を投げつけて、寝ちゃったらしい。

海での記憶が残っているほうがおかしいくらい、薬の影響があったはずで
私はあの時死んでいてもおかしくなかったし、そのほうが自然なくらいの成り行きだった。

私はそれでも、主に全部をまかなってくださいと言えなかった。

海に入ったのが5月。

手を切り裂いてしまったのが、11月。

どこまでも、自分の狭い守備範囲でどうにかしようとしていた。

できないことを出来ませんといえなかった私。
心配しながら、心を傾けながら見守っていた主。

どちらも同じ過ちを犯したんだと思う。
なのに、私は救ってもらえなくて死んでいたかもしれなかった
もしかしたら仕事に差し支える怪我を自分に負わせたかもっていうのが
ずっと心に残っている。

またこれも、どうしようもないことなのだと思う。
想いながら、結果が悪くなっただけなんだ。

悪くなるのを自分で把握しながら、自分を放置した私が一番悪いのだと
判っている。

でも、心が受け入れない。

そういうのは、まだ私の中でくすぶっていて
ふとした折に、噴煙を上げてくすぶりだし、爆発させる。

この爆発を停止して、いつになったら火山が休みに入るのか。
私にもわからない。

でも、スルーされるのはいやなんだよね。
上手な誘導を求めているわけでもないし、そうなったときに
私の切迫した状況を考えて黙り込むしかないのもわかる。

だからこそ、スルーはされたくない。

スルーされていた結果が、死んじゃうかもしれなかったあのときにも繋がるのだから
例えば「何もいえないけど見守っている」でもいいし、
「大変そうだな」でもいいし、何らかの反応があってほしい。

だって。
仕事がうまくいかなかったら、結局あえないんだもん。

そういうのも全部自転車操業で、走るのが自家発電しかないのはすごく孤独だ。
苦しいときほど、応援メッセージって欲しいじゃないか。

今日のTVの話に戻って。
深夜の真っ暗な砂漠の中、
ヘッドライトとレーザービームが照らすゴールポイントの光を頼りに
歩き、走る参加者たち。
もちろん深夜に走るのを止めて、翌朝に走ることも出来るのだけれど
78キロを一昼夜かけて走ることを選択する人が多かったそうだ。

前述の71歳の女性は、その深夜に道に迷い、山を行ったりきたりして
体力気力を失い、最終的に発炎筒を打ち上げ、リタイヤしたのだそうだ。

間寛平は、食料が足りなくて、何も食わず空腹を抱えて走りぬいた。
深夜に走るコースなら、道は平坦で無理の少ない場所なのだろうと感じていたが
山は険しくコースの道はわかりにくく、非常に厳しい道のりなのだそうだ。

昼間でもきついところを、砂漠の真っ暗な闇に閉ざされたコースを
参加者たちは走りぬいたという。

孤独、体力を奪う日中と40度以上違う7度の寒さ、道の不案内、朝食べたきりの空腹、ずっと休まず歩き、走る疲労、何もかもを抱えて走る。

私が言いたいのは、この違いのような気がする。

道が険しいのは、もう承知の上で、足にまめが出来ても走らなきゃいけないのも、「どうして、こんなことしてるのかなーーーっ!!!」って自問してしまう自己との戦いも、了解済みなんだけれど…。

でも、お腹がすくのはいいけれど(良くないが!)
道に迷うのはいやなの。
どっちがゴールなのか、どこに自分が居るのか。

苦しすぎるときに、出したSOSに答えてくれること。

これがほしかっただけなの。
自分とずっと戦っている私に、声をかけることが出来にくいのは百も承知で、
そういうときに余計なことを言うと私が怒るから
こうして距離を開けられてしまうのも判るんだ。

でも。
いや、だからこそ、踏み込んでもらいたいたった一人の人に
スルーされたくない。

私のわがままがそういうのか、何が求めるのか、良くわからないけれど、スルーされると、とても孤独で逢う為にも詰めていかなきゃならない仕事を放棄したくなってしまう。

これはどうしようもないことなの。

そういう気持ちで居るときに、メッセでも世間話だけで終わりにされちゃうと「避けられているのかな」とか、「苦しいのは自分で処理なさいね」って言われているみたいに感じちゃうのがどうにもならない。

そういう気持ちは根強くあれやこれや、最近にもあった些細なことを穿り返して、見ない振りしてきた気持ちも挫けてしまう。

そうした気分にならないために、何をしたらいいのか
私にはわからないけれど、今日は感動したな。

私は、私であるために仕事もしてるし、
その苦渋がSMに救いを求めて、形になったときこのハードなスタイルしか納得できるものがなかった。

私は、ずっと私自身と戦っていて、常に天使と悪魔が居るように
自分の二律背反する両方の声と向かい合っている。

主はそういう、私自身が分断し、私が分裂しない時間を作ってくれる、唯一のときを与えてくれる人なんだ。
私が私自身として一体感を感じられるときが、苦痛の真っ最中というわけで、苦痛で激しく身体を痛めつけられると、私の自己は薄くなり、ちっぽけになってとても素直になれる。

小さい子になったみたいに、何も考えずにいられる至福のとき。

私が常に自分に求めている自分との戦いを止めて、泣きたければ涙がぼろぼろこぼれるし、悲鳴を上げて転げまわるのも、感じすぎておかしくなるのも平気になる。
痛みが私の孤独な戦いを休戦させてくれるんだ。

だから、激しい苦痛にのた打ち回っているときが、安らぎであり、快楽を得るためにも必要な通過点であるわけ(笑

私は、遊びもないし、もし遊んだとしても遊べない。
いつも心は合理化するために何をしたらいいのか、次の手は何か
この商売はどうして儲かっているのだろうか。

ならばなぜ、私はそれができないのだろうか?

そういう問いかけから離れることが出来ない。
映画を観ていても、ドライブにも、おいしい料理にも、私は癒されない。

そのストイックさが、あのハードな鞭打ちを幸せに感じさせる。
もし、主が好きで主の笑顔が見たい、主に喜んでいただきたいという理由なら、
さっさとリタイヤしてしまうに決まっている!(笑

そう、スルーされたくないのと同じくらいの激しさで
「どーーーーして其処までされて我慢しなきゃならないのか?」って、間違いなく噛み付いているはずで、主のために耐えるなんて真っ平だ~と、きっと叫んで蹴り飛ばして帰ってくると思う(爆

動機が全く逆だから、鞭や苦痛を私自身が正真正銘、欲していて、私が真性Mだから主に喜んでもらいたいわけではない。
よく、どうしてそこまで苦痛に耐えられるのですかと聞かれるけれど、生まれたときからこうだったと答えるしかないし、それよりも耐えていないのだから答えようもないんですよね^^;;

痛いのは痛いんだけど、その痛さしか感じられない、何も考えることができないほど痛いって言うのが、すごく安心しちゃってる。

あー!
今こんなに長い時間忘れられてる!これってすごいじゃん!!!! 

打たれているときの私は、いつもそんな感激が頭をかすめている。すぐに痛くてその感激さえどっかに飛んで行っちゃうんだけど、それもまた爽快なんですwww

どうかその辺をご理解いただきたいなぁと思ったので
初めて主との行き違う心について踏み込んで書いてみた。

どうしてこうなたのかは、神のみぞ知ることで
私や主がしたことでもないのだ。

ごく普通に、求める形を現実化したらこうなった。

主が仕込んだのは快楽であり
苦痛を癒しにする術は、なぜか私が元々持っていた。

ただ、それだけのことでしかないのだけれど
茨の道であることは、言うまでもないんだなぁ…。

あくまで私個人に関してだけのことだけれど、
状況が事態を生んでいるので、もし苦労の少ない人生だったら、これほどに痛みを求めたりしないとだけは、はっきりいえるんですよね。

だから、苦痛を受け入れる受け止めるって
環境の影響ってとっても大きいと思う。

主と言う人間性への好きか嫌いかなんてものでは
たぶん無理なのではないかと思うのです…。。。

さて。明日はまた、心に出来た「まめ」を抱えて、ひたすらに走るとしましょうか(笑

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